株式会社三幸社/代表取締役社長 打越裕介 氏

八王子市内の本社に加え、アメリカ・タイ・中国と、海外にも事業を拡げ、ワイシャツ自動折り機の分野で世界一のシェアを誇る、株式会社三幸社の打越裕介社長にお話を伺いました。
多摩地域は製造業が盛んですが、世界の市場で勝ち抜いてきた同社の歴史には、どのような背景があったのでしょう?
また、これから先、どのようなビジョンを描いているのでしょうか?

1軒のクリーニング店から国内トップシェアの機械メーカーへ
当社は、今でこそ「世界一のシェアを誇る業務用クリーニング機械メーカー」として業界内で認知されるようになっていますが、実は創業当初は機械の開発・製造なんて全く知らない、小さなクリーニング店でした。
1968年に、中野区の商店街で「三幸舎クリーニング」という小さなクリーニング店をオープンしたのが、当社のルーツなんです。
「美しく、早く、お得な料金」を信条にお客様の立場に立ったサービスを心掛け、近隣の同業者が偵察に来るような繁盛店だったんですよ。

加えて、ものづくりへの関心も高い父は、自分のクリーニング店で使用していた機械の改良も手掛け始めます。
機械づくりの始まりは調布市の自宅。1975年のことです。

例えば、自分のお店で使用していたドライクリーニング機に蒸留器が付いておらず、それが仕上がりの品質に悪影響をしていると気付くと、蒸留機付きドライクリーニング機に改良したり、ウールの仕上げ作業を効率化させるスチームキャビネットを自分で開発したり。
ものづくりが好きな父のアイデアがクリーニング店で必要とされる機械づくりへと活かされ、2,3の同業者から、三幸舎クリーニングで使用しているものと同様のスチームキャビネットの製作依頼が入り、本格的に機械づくりを事業として取り組み始めます。

1977年に八王子市上柚木に工場を建設、1979年に有限会社三幸社を設立。
主力製品となっていたスチームキャビネットに続いて、ワイシャツ仕上げを機械化した「サンフォーマ―」の開発に取り組み、これがヒット。
現在まで続く当社のワイシャツ仕上げ機の原型とも呼べる製品ですね。

クリーニング店から機械メーカーへの転身を遂げた背景には、ものづくりに対する父の情熱があったことはもちろんですが、別な事情として、小児喘息を患っていた長男(=私)や住宅ローンを抱えながら、家族と会社を守ろうと考え抜いての選択がありました。
クリーニング店は、春と秋が繁忙期で夏と冬は閑散期。
収入は不安定にならざるを得ず、経営を安定させ、会社を発展させるためには、クリーニング店を続けることよりも、機械メーカーを本業とすることが最善の選択肢だったのです。

三幸社の製品は、日本国内で順調にシェアを伸ばし、1986年~1987年に現在の本社所在地である八王子市叶谷町へ工場を移転・増築、1988年には株式会社化、1990年に第二工場を建設と、会社の規模も大きくなっていきます。
当時、国内最大のクリーニング機械メーカーの従業員数は60名ほどでしたが、この頃、三幸社で働く人の数は100名を超えていました。
国内トップクラスのシェアを持つ立場にまで成長していたのです。

株式会社三幸社/代表取締役社長 打越裕介 氏

アメリカ進出とリーマンショック、そしてアジアへ
私は1993年に三幸社に入社し、当初は国内向け販売業務を担当、続いて財務の見直しに携わるようになりました。

日本国内の市場は既に成長のピークを過ぎており、会社の将来を考えると事業戦略の転換が急務でした。
既存の製品で獲得した市場へ新商品を売り込むのか?それとも既存製品を新たなマーケットへ売り込むのか?の選択が必要だったのです。

当社が選択したのは、後者。
もともとクリーニング業が盛んだったアメリカ進出を決意し、本格的にリサーチを開始します。
シカゴのクリーニング展に出展し現地の声を積極的に聞き、手応えを掴んだ当社は、ちょうど私が入社したのと同じ1993年にシカゴ支店を設立。
幸い、当社の機械の性能とフォロー体制が認められるようになり、アメリカでの利益額が三幸社の全利益額の半分を占めるまでに成長しました。

2007年には、八王子での新工場設立やアメリカ進出などで抱えて来た有利子負債の圧縮に成功。
父である創業社長や副社長の資金面での苦労を見て来た1人として、また財務改善を担当して来た立場として、大変喜びを感じたのを覚えています。

ところが、2008年にリーマンショックが起こるとアメリカ経済が急激に沈下。
円高が進み日本の工場で製造した製品を輸出していた当社にとっても影響は小さなものではありませんでした。
ただ、幸いなことに、1年ほど前から予兆を感じ在庫をさばくことを優先してきたこととで、影響は最小限に食い止めることができました。

円高で、国内で生産したものを海外で販売するというモデルの見直しが必要と判断し、2011年にタイに現地法人を設立。
当時のタイ法人は、中国市場への販売を念頭に置いた生産拠点という位置づけで、中国各地で開催される展示会への出店でリサーチや現地パートナーとの人脈構築を進め、2015年の中国大連での現地法人設立に至ります。
中国は広大な面積を誇り、当社の製品を必要としてくださる顧客も各地に点在していたため、当社の現地法人は中国国内で販路を持つパートナー向けのフォローを担当し、パートナーが販売しやすい環境づくりに力を入れています。

株式会社三幸社/代表取締役社長 打越裕介 氏

次に目指すのはアジアダイナミズム市場と、国内シルバーエコノミー
今後の展望としては、従来より行なってきている北米マーケット向けの販売拡大とともに、タイを成長性の高いアジアダイナミズムマーケットへ向けての中心拠点へと再設定をし、中国のみならず東南アジアへも販路を拡大していきたいと考えています。

そして日本国内においては高齢化社会が抱える課題解決に貢献する製品開発を行なっていきたいと考えています。
2018年に創業40周年を迎えたわけですが、今後も事業を継承し、50年・100年と続く企業として、社会に貢献する活動・企業文化は欠かすことができません。

ただ、この構想が走り始めた矢先、2020年に入ると世界で新型コロナウイルスの感染が拡大し始め、一時的に軌道修正をしています。

コロナ禍であっても私たちが持つ工場で社会に貢献できることはないか?と考え、「お店deマスク」という飛沫感染防御スクリーンの生産・販売を開始しました。
ありがたいことに、もともとお付き合いのあったクリーニング業界のみではなく、飲食店さんや一般企業のオフィス内でもご利用頂いており、コロナ禍ならではの社会貢献や、新市場の開拓にも繋がっています。

時代の変化に柔軟に対応しつつ、アジア市場の販路拡大、高齢化社会の課題解決に取り組み、100年企業を目指して参ります。


企業情報
株式会社三幸社

【事業内容】
国内のみならず世界のお客様から⽀持されている業務⽤クリーニング機械のリーディングカンパニ
ーです。
主⼒製品であるランドリー仕上機・ドライ仕上機・タタミ包装機の開発、製造販売を⾏っており、
国内市場、北⽶市場でトップシェアを占めています。
株式会社三幸社は、⽇本、北⽶、欧州・オセアニア地域、中国・韓国を始めとするアジア地域を中
⼼とした世界市場に向けて、顧客起点の開発思想と⻑年培った技術で、⾼品質・⾼付加価値な「も
のづくり」及びマーケティングを実践しています。

【代表者】
代表取締役社長 打越裕介

【所在地】
本社︓東京都⼋王⼦市叶⾕町988

(関連会社)
三幸社ホールディングス株式会社
東京都⼋王⼦市叶⾕町988

三幸社フィルム&サプライ株式会社
・本社︓東京都⼋王⼦市叶⾕町988
・⼯場︓北海道岩⾒沢市東町⼀条3丁⽬90-1

⽶国現地法⼈ Sankosha USA Inc.(⽶国販売会社)
1901 Landmeir Rd.Elk Grove Village, IL 60007

タイ現地法⼈ Sankosha Thailand Co.,Ltd.(タイ⼯場)
700/720 Moo 3, Tambol Bankao, Amphur Phanthong, Chonburi Province 20160 Thailand

中国現地法⼈Sankosha (Dalian) Co.,Ltd.(⼤連コンサル会社)
遼寧省⼤连市⻄岗区中⼭路147号森茂⼤厦ビル17F(1701E)

【URL】
http://sankosha-mfg.com/

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